支部長の窓
明大全国大会交流会
湘南藤沢地区大学交流親睦会
 
  

 
 
◇第81回箱根駅伝(平成17年)
 十四年振りの明治大学出場に地域支部は勿論のこと、市内在住の全校友が沸きました。それは、現代社会では珍しい、純粋な感動と不思議な連帯感でした。

   
    3区を力走する田中文昭選手  

 
○感動をありがとう!・・・・・・・・・
            副幹事長   国 松   誠(昭61 法)

 
 感動をありがとうございました。藤沢の街の中、明治大学の紫紺の幟や小旗の波の前を、疾風の様に駆け過ぎる母校の選手の姿を胸の震えるような思いで見送りました。
  数年前のことです。箱根駅伝を家族で見物しているときのことでした。分かりきっているのに 「あら、明治は出てないの。うちは出てるのに残念ね」と言われ、関東学院出身の妻と正月早々大喧嘩をして以来、箱根駅伝は、テレビ観戦などもってのほか、 新聞記事を読むどころか、テレビのニュースで流れるとチャンネルを替えておりました。
 結果はともかく十四年振りの出場、本当におめでとうございました。と同時にありがとうございました。選手や関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
 ところで愛校心と言う言葉は、すでに古語になってしまったのでしょうか。 今から遡ること七〜八年前、私は一抹の寂しさを覚えました。それは藤沢市に一六〇〇名以上の明治大学のOBが在住していたにもかかわらず、 同窓会のないことでした。
 しかしその後機は熟して、志有る校友相集い発足した校友会は、活発な活動を展開しているところであります。
 今回の駅伝の準備にしてもそうです。各行事における諸先輩の活動は、 私にとりましては敬服することばかりであります。黙って自分の仕事を見つけ、誰に頼まれるわけでもなく黙々と準備をしていく。その姿を見ながら、 次々と作業の輪が広がっていく光景は、とても新鮮で感動的でした。こんな上司であるならばぜひついて行きたいと思わせる方々ばかりです。私は先輩方を、そして明治大学を、心より誇りに思っております。
 今回の駅伝出場について、校友の皆様の盛り上がりを顕著に現しているのは、応援に掛かる諸費用に対してご寄付をして下さった方々の数ではないでしょうか。寄付金を募ることに対しては当初賛否両論がありました。 詳細については別の形でご報告があることと存じますが、金額の多寡は別にして、一人一人の明治大学に対する熱い思いのこもっていることには変わりありません。愛校心、母校愛は皆様方の心の中に厳然として在ることを強く感じました。
 母校の箱根駅伝出場は、私たち校友に感動というかけ替えのない宝物を送ってくれました。
 駅伝が終わった翌日のことです。一月四日に明治大学競走部の西弘美ヘッドコーチを囲む会(励ます会)が、藤沢の 『ドーリー』 という喫茶店で開催されました。ここには神奈川県内の高校陸上部の指導者や、西コーチの社会人時代の後輩などが一堂に会しておりました。
 この店は西コーチの日大時代の先輩にあたる井上学様の店で、井上様は現在藤沢市の陸上協会の役員としてもご活躍されています。駅伝当日は、 応援拠点として明治大学のテントを張った藤沢南仲通り交差点周辺の警備にも当たられ、今回の駅伝の応援に関しては、明治大学のために大変なご尽力とご指導を頂きました。西コーチも尊敬する先輩として大変慕っている方であります。まさか、藤沢に明治大学競走部関係者と、こんなに大きな接点があろうとは夢にも思いませんでした。この席には、我が校友会から金子勇二支部長と西島恒博副支部長も出席いたしました。
 西コーチの人となりや取り巻く人間関係などをお伺いしたとき、今後の明治大学の大躍進と真の古豪復活は遠い日ではないことを強く実感いたしました。数年後には大手町のゴールをトップでテープを切ることは間違いありません。
 箱根駅伝の明治大学。
それは応援する私たちの胸にも大きく強く響くものがあります。明治大学の選手諸君、関係者の皆様、そして応援にご参加の皆様。感動をありがとうございました。
                   
(筆者は現在藤沢市議会議長)
 
 
○逗葉地域支部の皆さんも応援に来る
  
   
    逗葉地域支部の皆さん  応援に駆けつける  

  8区を駆ける辻村充選手   応援する逗葉地域支部の皆さん

 

○十四年振りの箱根駅伝・・・・・
            相談役  佐 藤 英 雄(昭29 政経)

 
 あっ、紫紺のタスキをかけた我が明治、三区の田中文昭選手が四・五人の集団の中に見えてきた。真新しい紫紺のタスキ、十三位集団である。力強い走り、どんどん大きくなり、あっという間に駆け抜けて行った。その間七、八秒か。「田中、頑張れ」、「明治、頑張れ」、「田中、 田中」の校友や沿道の人々の声援、新聞社の旗と共に明治の小旗が振られ盛り上がる。田中選手は区間十位の成績で、次の選手に引き継ぐ。
 この時をどんなに待ち望んだことか。
 十四年振り、私は明治のいない駅伝に、毎年各大学の選手に旗を振り応援してきた。今回は藤沢の全校友に呼びかけた応援参加の通知に応えて、例年にない大応援団ができ、藤沢の南仲通り交差点近くは人、人、人で埋まった。また、相模原、大和、町田、そして逗葉から二十人以上の応援団が幟り旗を持参して集合。祝箱根駅伝復活、頑張れ明治の横断幕を持った人が行く。皆待ちに待った意気込みが伝わる。いま、母校の選手に声援を送ったこと、これほど大きな感激は近年にない。
 平成十一年、明治大学校友会藤沢支部結成第一回総会前の幹事会で 「箱根駅伝に出場できるよう大学に要望することを議案書に入れて欲しい」と要求したところ、「それは質疑に入った時に」と言われ、総会の席で石井博議長に私は真っ先に挙手し、「自分は箱根駅伝の応援に毎年出ているが、明治大学が出場してない駅伝は淋しい。箱根駅伝に出場できるよう、大学当局にお願いして欲しい。速い選手を獲得して、みんなで応援できるよう強く要望します」と言う主旨のことをご臨席の教授、本部役員、 県下各支部長、役員の方々の前で申し上げた。ご来賓の向殿政男教授は「よく分かったので、伝えておく」と話された。
 県下の校友に呼びかけ署名して、優秀選手の獲得を要求したかったのだが、一常任幹事が他支部に呼び掛けても見向きもしてもらえないだろうと思い、それならば校友会の全国大会に出席しアピールしようと考え、 まず石川大会へ。
 しかし、全国大会では、当局や来賓の挨拶や祝辞だけで、議事の質疑やいろいろと話し合う場は設けられてなくがっかりしたが、懇親会では総長や学長と飲みながら話せる。この機会を利用して箱根駅伝をまずお願いし、スポーツ全般にわたって明治の名が出るように、優秀選手の入学を懇願した。それ以降毎年全国大会で総長や学長にお願いした。私の全国校友大会への出席の目的は、箱根駅伝に紫紺のタスキをかけて走る選手獲得をお願いすることであった。
 福岡大会では明治大学出身の納谷廣美総長兼学長が、箱根駅伝とラグビーは、一・二年のうちに優勝させると胸を張って話された。万雷の拍手。
 三日の八区の辻村充選手は十六位で私の前を通過。「辻村頑張れ」 「明治、明治」と幟り旗の七十本が揺れる。小旗を持った人々も大きな声で応援してくれた。感動、感動。また来年速い選手を補強し、予選会を突破してここを走るだろう。
 ここまできたのは、日大出身の西弘美ヘッドコーチの力量を十分に感じた。アルバイトや茶髪を禁止し、走る意欲を出させた。学校当局もこれに応え、合宿所の改装、全天候型のグランドの整備をした。総長を信じ、 西弘美ヘッドコーチの手腕に期待し、また来年集まろう。
 昨年十月十六日駅伝の予選会は三位で出場権を獲得。以後の藤沢地域支部の対応は早く、十一月六日と十二月四日に駅伝応援の幹事会を召集。応援場所の選定、応援動員の計画、幟り旗・小旗の用意、費用の調達など協議、藤沢在住の校友全員に「応援と寄付のお願い」を郵送、 拠点での応援と寄付金のお願いをして幟り旗・小旗の購入計画を立案。 その結果多くの校友の皆様から予想以上の多額の寄付と多数の校友が藤沢地域支部に新規加入するという嬉しい知らせに感激した。幟り旗七十本、小旗三百本を作ることができた。
 現役学生には、大学に十六枚のポスターを掲示し参加を呼びかけた。 明大ホームページに応援広告も掲示した。おかげで大応援団が編成できた。これ等は総て明治大学校友の皆様の絶大な協力があったからのことである。「明治大学」と染め抜いた新調の幟り旗は藤沢の沿道に翻り、藤沢校友の母校への情熱は一段と高まった。この意気込みを来年に続けよう。
 

 
○我輩は旗である・・・・・・・・・・ 中 澤 幸 雄(昭37 商)
                                          我輩は旗である。旗と言ってもただの旗ではない。紫紺に鮮やかな白で 「明治大学」 と染めぬいた幟旗である。校友諸兄によって用意された新品の幟である。我輩とその仲間七十本は朝の冷気の中、堂々と胸を張って沿道を見おろす。道を往き来する人々も「お!!明治は随分と気合いが入ってるな」などと嬉しい言葉をかけてくれる。
  「べらぼーめ、こちとら優勝回数七回を数える古豪だァネ。皆の衆も心して応援してくんねェ」平成十七年一月二日午前十時、沿道は既に満杯の観衆。ラジオは選手が間近に迫りくる様子を伝えている。
 いよいよ来た!!東海大、続いて日大。我が明治は五校ほどの集団をなして眼前を走り去る。速い!!我輩を握るOB氏も大声を出して声援を送る。
 明けて三日。有明の月を写して不二の峰、復路の明治やいかにと見守る。二宮ポイントを十六位で通過するも、眼前は十七位。我がOB氏は我輩を放り出し、人々の股ぐらの下にもぐり込んで
 「明治行け!!辻村行け!!」 と、なり振りかまわず絶叫した。
 我輩はなぜか「我がOB氏も酒ばかり呑んでないで少しはジョギングでもするが良い」と思った。後で知った事だが、明治は総合十八位とか。 しかしまあタスキを切らなかったことは何よりだ。来年に期待しよう。我輩も再びこの道に立ちたいものだ。是非たのむぜ学生諸君!!

 
 
○校友 石井 博氏・吉澤陽子氏に感謝
 
 平成十七年一月二日〜三日は東京箱根大学駅伝の応援に沸きました。ご参加戴いた大勢の校友の皆様に感謝申し上げます。と同時に、この応援の拠点作りとして、県道三〇号線と藤沢銀座通りの交差点際に会計事務所を持つ吉澤陽子氏(昭48 商)より場所の提供を、また、テントや長机、折りたたみ椅子、運搬のトラック等を石井博氏(昭32 政経)より借用し、ご協力を戴きました。立地条件に優れた場所で、諸事整った備品が、応援活動に役立った効果は量り知れません。ここにご報告し御礼を申し上げる次第です。
  ありがとうございました。
 
 
○駅伝応援寄付金の御礼・・・・・・・
             支部長  金 子 勇 二(昭37 法)

        

 藤沢市内在住の校友の皆様。
 母校競走部の十四年振りの箱根駅伝出場が実現しました。沿道の校友会支部としてどのように応援しようかと色々と工夫を凝らした結果、市内在住の全校友に応援を呼び掛け、ご寄付もお願いすることになりました。
 お願いの手紙が届いた翌日から、ご寄付が続々と寄せられて来ます。 私たち役員は仰天しました。こんなにも大勢の方から、こんなにも多額なご寄付が寄せられることは、想像していなかったのです。感激しました。母校を思う校友の皆様の熱い心がひしひしと伝わって来ました。
 今年明大を卒業したばかりの若い方からのご寄付もありました。お身体のご不自由なご高齢の先輩からのご寄付もありました。黙って銀行のATMから高額な金額を振込送金する方もいらっしゃいました。神奈川県外の、遠く栃木県の方からも、話しを聞いたからと言って送金がありました。単身赴任先の茨城県から振り込んで来た校友もいます。ご子息は四国の松山に赴任して留守であるが、息子がいればきっとするであろうと、代わりに寄付をして下さったお母様もいました。感動的なお話しは幾つもあります。そのたびに胸が熱くなりました。
 皆様の厚い志は一円といえども無駄には使えません。応援の幟と小旗を調製し、必要最小限度の用具を用意しました。そして、残った金額は、これからの明大駅伝応援の基金として積み立て、一部を明大競走部へ強化資金として寄付をさせて戴きました。その内容の詳細は会計報告書に記載した通りであります。この会計報告書を、ご寄付をして下さった全員の皆様にお届けいたします。なお、ご寄付のお願いの文書の中で、幟一本の調製代金に金五、四〇〇円(市内業者見積)と書きました。実際にはグッズを取り扱う竃セ大サポートで調製したところ、一本が一、八〇〇円で出来ました。この違いのありましたことをお詫び申し上げます。
 ご寄付の総額は
    二二七名  九一六、〇〇〇円
 でした。
 藤沢地域支部役員一同、校友の皆様方のご好意に対して心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 
 
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