◇第82回箱根駅伝(平成18年)
天気予報は雨であった。今にも降り出しそうな低い雨雲だったが、選手が藤沢を通り過ぎるまではどうやらもった。だが、その先で選手たちを待ち受けているのは過酷な条件ばかりであった。
頑張れ!明治!困難を克服するところに、君たちの成長がある。
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力走する3区幸田高明選手 |
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箱 根 駅 伝 で 拡 が る 人 の 輪
箱根駅伝応援実行委員長
副支部長 柴 田 倭 敏
(昭38 政経)
平成十八年の第八十二回東京箱根間往復大学駅伝競走に、母校明治大学が二年連続の出場を果たした。成績は総合第十八位と昨年と同じであったが、堂々たる快走であった。若い選手が多いだけに、これからが大いに期待されるところである。
去年に引続いて、今年も多くの校友に駅伝応援の協賛を戴いた。真に感謝に堪えない。いづれ詳細な会計報告をお届けするが、駅伝応援を通じて、多くの校友が同じ思いを共有し、強い連帯の絆で結ばれたことに、感謝と共に深い喜びを感じたものである。
特に、今回の応援では未知の人たちとのご縁を強く感じた。
初日、鈴木良二幹事長が沿道で応援していると、道路の反対側に、我々が作った小旗や幟とは違った旗を持って応援しているご夫婦がいられる。鈴木幹事長が挨拶をすると、その方は東京都足立区の永井左近様と言われる方で、ご子息が明治の一年生で競走部に入部しているとのこと。まだ箱根には出場していないが、何処で応援したらよいだろうかと大学の関係者に問い合わせたら、藤沢に行きなさいと言われたと言う。応援受付所に来て記名をされて行かれた。
昨年の駅伝で、テレビニュースの画面に、藤沢のJR跨線橋の傍のマンションに『明治ガンバレ』と横幕の掲げられているのが映し出されていたと言う。我々関係者にしてみると、此処にも同志がいたかと嬉しい思いがした。その方を訪ねてご挨拶を申し上げた。小坂井秀樹様と言われる方で、奥様のお父様である楠 雪高氏がかって永い間明治の競走部の監督をなさっていられたとのことである。小坂井氏は明治の出身ではないが『岳父の永年の夢が叶ったのが嬉しくて作りました』と笑っていられた。残念ながらお父様は四〜五年前に亡くなられたと言う。亡き義父の志に手向ける優しい心に感銘を深くして辞去したものである。横幕は立派なキャンバスにきちんとしたレタリックで書かれたもので、今年も掲出されていた。
大会二日目、復路の日である。沿道で応援の準備をしていると『明治の方ですか』と声を掛けてきた人がいる。その方は、平塚から戸塚までの第八区を駆ける明大一年生村上貴彦選手の父上村上 実氏であった。仙台にお住まいであるが、ご子息の応援のために奥様、親戚の方々、或いは村上選手が幼い頃からランニングの指導をして戴いた、今は茨城県石岡に在住の佐藤芳信氏等を含めた一行六名であった。我々の応援の準備を見て『こんなに大勢の方に息子を応援して戴いて』と感激に声を震わせている。我々は明治大学を応援しているのであるが、それはまた選手個人のものでもある。お父上に出場のお祝いを申し上げ、吉澤陽子先生の事務所に招じて入れて湯茶の接待をし、暫く休憩して戴いた。第八区で一番苦しいのは遊行寺の上り坂である。『そこで元気づけてあげようと思いまして』と若いお母さんは『貴彦ガンバレ』と書かれた大きな看板を持って、一行と出て行かれた。
箱根を走る。そのために選手は自ら厳しい節制に耐え、心身を鍛え、毎日のハードな練習を克服している。『競技はグランドだけのものではない。日常の生活態度の中に選手の力がある』が西 弘美コーチの口癖であった。
大会の終わった次の四日の日、藤沢で西先生にお会いし、お話しを聞く機会があった。開口一番『昨年と同じ成績で進歩がなく、申し訳ありませんでした』と言われる。西先生は求道者のような直向きな姿勢で、選手の人間教育に全力で当たる方である。『トラブルが総てと言った今回の大会でしたが、結果の悪かったのは指導者に責任があります。選手は咎められない。でも、私は言ったんですよ。終わったあと長吉理事長や先生方に。選手たちの顔を見て下さい。昨年とは違います。昨年は出場できたことに満足した喜びの顔でした。今年は悔しさに歪んでいます。来年はきっとやります』
西 弘美先生は優れた指導者である。競技者は競技だけではない。日常の生活の姿勢が大切だと強調する。そのために、躾けや礼儀作法や人間関係やもの事に対する心構えを説得力のある言葉で分かり易く教える。然かも、単に言葉だけでなく、率先身をもって行動の範を垂れるのである。明治大学の競走部は真に優れた指導者に恵まれたと言える。
箱根駅伝の応援は母校の選手の健闘を祈り、より良い成果を期待するだけのものではない。駅伝応援の繋がりを通じて、人と人との共感の輪を拡げ、人生の豊かさを感じる場でもある。
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