平成17年1月29日(土) 藤沢市民会館にて
ゲスト 明治大学競争部ヘッドコーチ 西 弘美氏
余 興 『安 来 節』 安来節浅草大和屋一座
出席者 94名
第6回『新春の集い』に出席して
村 山 行 雄
(昭27 法)
毎年行われる校友会のイベントとして、年頭恒例の新春の集いに私が出席したのは本年で二回目です。集いの途中で行われる新入会員の紹介は、本来ならば新会員の卒業年度は平成の筈と思われるのに、何故か昭和年代が大半を占めているのは、私のように卒業して社会に出てから年数が経ち、何等かの経緯で校友会の存在を知り、入会されたのだと思います。昨年の新入会員は十二、三名でしたが、今年は二十名以上の新入会員の紹介がありました。このような経緯から推測すると、私達は気がついていないが、明治を出た方で校友会に未加入者が、かなりおられるかも知れません。出来るだけ多くの方々と校友会の輪を広げて行きたいものです。
新春の集いに出られた芸人の方々が熱演されて披露した芸の奥深さにはいつも感動させられます。そして和気藹々の中で行われるビンゴゲームでの景品に、今回はコードレスアイロンと、旅行用小型ヘアドライヤーを提供しましたが、早々とロンに達しました。獲得された方が喜んで居られると思うと、次回には何を景品に出そうかと、今から迷っております。
校友の皆様はご存知と思いますが、我が明治大学は当時新進気鋭の法学者であった岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三氏が創立者で、それぞれ力を併せて、設立の趣旨にある「同心協力」の精神を持って、フランス法を講ずる明治法律学校を明治十四年一月に設立し、初代校長に岸本辰雄氏が就任されました。当時校舎は有楽町数寄屋橋の島原藩邸内に開校し、明治十九年十二月に駿河台南甲賀町に新築移転し、明治四十四年十月に現在の駿河台に移転と言う変遷を辿たどっております。有楽町には記念の石碑が建っております。
一月十七日の開校日に集まった学生は四十四人で、三人の学祖が教授も兼任したので、討ち入りしたときの赤穂浪士と同じ人数の四十七人の少人数での発足だったのは、明治大学の歴史に残っております。付け加えると、明治三十六年八月に現在の明治大学に改名し、大正九年四月に官立大学と同等の正式の大学として認可されました。
私が在学していた頃の明治大学の校風は、「質実剛健」で私もその趣旨に沿っての教育を受けました。時の流れと共に変化されています。「独立自治」・「権利自由」の建学精神を基礎としながらも、大学改革の理念として「個」を強くする大学を掲げております。
明治伝統の人権尊重の精神と、個人の自己決定を根幹とし、学生一人ひとりの個性を発揮する教育目標達成に向けて動き始めました。
校友会の皆様、今後も宜しくお願いします。
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