平成四年の夏、妻と当時大学生であつた末の娘を伴ひ、二週間ほどイタリアを旅行したことがあります。唯の観光旅行でしたが、仕事柄、銀行があるとチヨツと気になりました。
一番最初めに驚いたのはローマの銀行でした。建物の道路に面した壁に自動両替機が付いてゐるのですが、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の五カ国の通貨が機械操作だけで両替出来るのです。流石に世界の観光地は違ふものだと感心しました。驚いたのは二十四時間休みなく稼働してゐるのです。と云ふことは、二十四時間コンピューターを動かしてゐる訳で、随分コストが掛かるだらうなアと思ひました。今でこそ都市銀行は夜間のATMの払出しを実施してゐますが、これは確か平成十年二月からのことです。私がイタリアで見たのはそれより六年も前のことでした。この点だけは日本よりすすんでゐると云へます。両替の手数料は金額の大小にかかわらず一律1,500リラ(日本円で当時100円前後)でした。
イタリア語では銀行を『BANCA』といふのでせうか。BANCA DI ROMA(バンカ・ディ・ローマ……ローマ銀行)とか、BANCA COMMERCIALE ITALIANA(バンカ・コンメルシャーレ・イタリアーナ……イタリア産業銀行)などといふ名前が目につきました。
BANCA とは元々細長い四脚の机のことをいふのださうです。イタリアの古い町に行くと、何処でも町の中央に広場があります。中世の頃は、町の重要な取決め事は、住民が其処に集まつて話し合つて決めたやうです。又お祭りや色々な催し事も其処で行はれました。そのやうな人の集まる時、広場に長机を持ち出して、その机の上で両替や為替の送金や決済をしたのださうです。その長机『BANCA』がいつの間にか銀行の呼び名になつたと云ひます。
私は銀行の歴史はイギリスのイングランド銀行に始まるのかと思つてゐました。然し、どうもさうではないやうです。調べてみますと、イングランド銀行は1694年パターソンといふ人が、時の国王ウイリアム三世の財政難を救済する見返りに銀行券を発行する権利を取得して、最初の株式会社として設立され、その後中央銀行に発展して行つたものださうです。
世界一歴史の古い
シエナ銀行の前にて
イタリアの北部の町シエナには MONTE PASCH DI SIENA モンテ・パスキ・ディ・シエナといふ銀行があります。この銀行は1472年から営業を続けてゐるとのことです。さうだとしたらイングランド銀行より 222年も古いといふことになります。現在日本の東京にも駐在員事務所あるさうです。
これが世界で一番古い銀行だと云ひます。1472年は日本で云へば応仁の乱の真つ最中、山名宗全と細川勝元が京都で激戦を繰り返してゐた頃です。そんな時代からずーつと営業を続けるといふのは並大抵のことではありません。驚嘆に値します。
当時のイタリアは金利がべらぼうに高かつたことを憶へてゐます。その旅行をした頃(平成四年)普通預金の金利は9%でした。現在日本の預金金利は自由化されてゐますが、どの銀行も普通預金金利は0.001%です。平成四年当時でも1%位であつたと思ひます。イタリアの国債の利率は15〜16%とのことでした。但し、突然凍結されて、元利金の支払ひがストップされることもよくあると云ひます。金利がいいからと云つて油断は出来ません。イタリアではどうも国家が一番信用出来ないやうな印象でした。
当座預金で小切手や手形が銀行に支払呈示され残高が不足してゐると、その小切手や手形の振出日から利息がかかるさうです。日本では呈示され貸越が発生した時から貸越残高に金利が付く訳で、これを当り前の常識と考へてゐた私にはチョッとした驚きでした(理論的には日本のはうが断然正しい)。
そんな具合ですから、銀行からお金を借りるといふのは大変な困難な事のやうでした。銀行員は尊大で、横柄で、傲慢ださうです(どつちを向いても頭を下げつぱなしの人生であつた私にはなんとも羨ましい話しでした)。先ずお金を貸してくれないさうです。余程トップの偉い人と特別なコネが有るとか、タイミングの好い時でないと銀行借入は出来ない。銀行からお金を借りるといふのは一種のステータスのやうでした。
ガイドをしてくれた方はイタリア人と結婚した日本の女性でしたが、地元の信用金庫から住宅ローンを借りて家を建てることが出来たと喜んでゐました。イタリアにも信用金庫があるのかとビックリして尋ねますと、信用金庫があると云ひます。 CASA DI RISPARMIO DI FIRENZE(フィレンツェ信用金庫)と取引してゐると云ひます。『CASA』はお店とか家のこと、『DI』は〜の、『RISPARMIO』は節約とか貯金の意味ださうです。『節約・貯金の家』を信用金庫とは大変結構な翻訳で、勤倹努力こそ健全で幸福な家庭生活の基礎と考へてゐる私には真に我が意を得た言葉でありますし、私のゐた信用金庫の経営理念にもピッタリでした。
文明度の高い国ほど『信用』といふものが高く評価され、社会・生活の中で広く『信用』が活用されるものだと思ひます。現代の日本はローン社会とか借金漬けの生活などと云はれてゐますが、考へやうによつては最も文明的に進んだ経済社会制度の中で生きてゐるのかもしれません。さう云ふ見方をすると、二千年前にはローマ帝国といふ最も進んだ高度の文明社会を出現させたイタリアも、現代では大分遅れた文明経済の社会構造ではないかと思ひました。
シエナ 町の中央に在るカンポ広場 多くの歴史やドラマの繰り拡げられた場所
『ピサの斜塔』で有名なピサへ行きましたら、観光客向けの土産物屋と並んで銀行の支店がありました。『BANCA DI PISA 16』と書いてあります。聞けば、ピサ銀行の十六番目の支店ださうです。支店の名前に通し番号を付けるなど、随分変わつてゐるなと思ひました。もつとも、日本も昔は第一から始まつて番号を名前にした銀行があり、現在でも一部残つてゐます。入口の扉を押すと円形のガードマンの詰所のやうな小部屋があり、中には拳銃を持つたガードマン(警察官?)がゐて凶器を持つてゐるかどうかボディチェック(身体検査)をします。OKとなつて初めて営業室の中に入り、お金の出し入れや両替が出来るのです。きつとマフィアか銀行強盗を警戒してゐるのでせう。顧客サービスを第一に考へる日本の銀行とは大分違ひます。でも、かうなると信用とは別の問題のやうな気がしないでもありません。
現在、イタリアの中央銀行の公定歩合は2.0%ださうです(因みに日本の公定歩合は四年前より0.1%、その前の五年間は0.5%でした)。イタリアでは2003年の一年間に2.75%から三回も変更して、それ以後は少し落ち着いてゐるやうです。私が旅行した1992年の秋、イタリアは欧州為替相場システムから脱落してしまひました。その時の公定歩合は15%でした。その時とは較べやうもない位の大きな変化です。イタリアがヨーロッパ通貨統合のお荷物であつたといふ話しを聞いたことがありますが、それは事実であつたらうと思ひます。極端に金利の高いイタリアと、超低金利の続く日本の両方を経験してみて、経済といふのは安定してゐるのが何よりも大切であることをつくづく感じました。「処変はれば水変はる」と云ひますが、国によつては銀行も随分違ふものです。 (平成17年4月29日 記す)