支部長の窓
明大全国大会交流会
湘南藤沢地区大学交流親睦会
 
  

  
  
    円 空 仏 と の 出 会 い

                  石  井  志  靖
                     (昭35 商)
  

 円空さんの仏像に魅せられたそもそもの始まりは、今から二十年程以前のこと、ある新聞で円空仏の写真を見た時からです。お寺さんの本堂に鎮座している仏像しか頭になかった私にとって、それはあまりにも破形の姿だったのです。
  その顔は穏やかな微笑を湛えているけれども、躰は鉈で割ったままの木肌が残り、なお且つ、鑿跡から衣や省略されている手や脚の位置が確認できる程度で、とても仏像には見えませんでした。
  その時から円空仏が頭を離れず、本物を求めて、飛騨高山の千光寺、名古屋の荒子観音寺等々を尋ねて巡り、本物と対面し、素彫りの円空仏の魅力にますます吸い寄せられてしまったのです。それは自在な鑿の動き、鑿跡の鋭さ、そして木の材質を活かした円空仏の美しさに驚き、呆然と立ちすくむ思いでした。

 制作中の筆者
 五十歳を過ぎた頃から、定年後の1人の時間をどう過ごすか、頭の片隅で思っていましたが、突如、この微笑仏に迎えられ、不思議な世界に誘われることとなりました。荒子観音寺の講師の大西タ互先生が円空彫りの指導をされていたこともあって、自分でも彫ってみたいと思うようになったのです。
  その後、大西先生から教本と、刃物で有名な関市で注文した鉈と鑿が送られて来た時の喜びと、最初に鉈を振り下ろした時の感触は今でも忘れられません。
  大西先生のお陰で、円空さんの生誕の地と言われている岐阜羽島で毎年町起しのために行われている『円空仏彫刻の集い』に参加しております。

 「円空仏彫刻の集い」に参加して
  それは、岐阜、愛知、静岡等の各県から三十名の彫師が集まり、二メートル前後の檜の丸太が一本与えられ、一泊二日で一体の円空仏を彫るのです。完成した三十体の大きな仏像の中に、自分の彫った仏像が並べられた時の達成感は、最高の感激です。
  幸運なことに、私が円空仏を彫ることを知った義兄から、円空さんに関する数冊の古本と「円空仏」が送られて来ました。その仏像は、昔、義父(民俗研究家)が山伏として秋葉山や丹沢山等で山岳修行の際に、ある山奥のお寺さんの面倒を看たお礼として、一体いただいたとのことです。
  木目、鑿跡を生かした円空さん独特の彫り方であり、相当古い仏像であることは確かですが、どこのお寺さんか、そして本物であるかどうかも、今では知る術がありません。

 善財童子  石井志靖 作
 円空さんは、生涯に十二万体の造仏を誓願したと言われています。五十九歳の時に、岐阜県上宝村桂峯寺に遺る今上皇帝の像の背面に「元禄三年十万仏作已」との墨書銘があり、六十四歳で長良川畔で即身仏となって土中入定しているので、悲願の十二万体は造り終えていたと言われています。それにしても、一日平均十体以上を彫り続けなくてはならないのですから、その超人ぶりには驚かされます。
  しかも円空さんは、明けても暮れても作仏していたのではなく、遊行僧として、特に厳寒の東北、北海道を回国し、修験道の厳しい修行を重ねてる一方で、仏教的体験の表現としての作仏であり、円空さんにとって、作仏は誓願の一環だったのではないでしょうか。
  残念ながら、仏教的教養のない者の彫った仏像は、所詮それは仏の形をしているだけで、真の円空仏のような人の心を癒し、安らぎを与える微笑仏にならないのは、遺憾ながら仕方のないことです。
  円空仏に魅せられて、真似て彫る人は後を絶ちませんが、あの柔らかな得も言われぬ微笑はどうしても表現出来ていない。円空仏を模刻する人にとって、あの微笑は永遠の課題でもあります。
  残り少ない余りの人生、自分の彫った観音菩薩にいだかれて浄土に往くことを夢みて、これからも木の中の仏を迎え続けていくつもりです。
                               感謝合掌
  
  
  
 
 
支部長の窓 | 地域支部の概要 | 役員一覧表 | 事業報告 | 総会 | 新春の集い | 家族参加のイベント | マンドリンコンサート
 
チャリティーアート展 | 箱根駅伝応援 | 明大ふじさわ会報 | サークル活動 | 校友随筆 | おしゃべり広場
   
我がふるさと藤沢神奈川西部支部関係地域支部サロン入会案内関連サイトへのリンクホームページ委員会トップページ